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近い関係だからこそある、可能性。

こんにちは、桝田です。

乳児、幼児期のこどもを見ていて。
彼らが安心して自分の興味・関心に好奇心を向ける、そのための養分とするのは、
「なにができようとできまいと、私はあなたが大切」
という大人のまなざし。

そう、頭でわかっていても。

そのまなざしを向けられてこなかった部分のある大人(おそらくほとんどの人)には、こどもの存在にその「向けられてこなかった」傷を刺激されて、自分がこどもにまなざしを向ける、ということが難しい時もある・・・

この「なにができようとできまいと、私はあなたが大切」というまなざしを、大人が自分自身に向けられているなら、その分だけ、こどもにも同じように向けることができるのだと思います。

でも、自分に向けるのは難しい。
それがすぐにできたら苦労はしない。

夫とは、そのまなざしを育てていきたいという時、最初に向ける相手はパートナーがいちばん簡単だ、という話になりました。

こどもに向けることも、こどもに自分の心配や不安を重ねて見てしまう分、難易度は高い。

パートナーは、もともと他人。
自分とは縁もゆかりもない。
お金をたくさん稼げるからとか、
顔がいいからとか、
計画を立ててくれるからとか、
そういうところももちろんあっていいんだけれど。

たとえそのお金を稼ぐ力や、顔の器量や、能力や、なにかが失われたとして、
「なにができようとできまいと、私はあなたが大切」
と、言える。

大切だからすべてそのままでいい、変わらないでいい、わけじゃない。
苦言も言うし、言われる。
腹も立つし、悲しくもなる。

相手にも同じように、自分といることによってなにかが起きていると思う。
それでも、その苦言の原因を、「私は、あなたが大切だ」というところから、一方的に相手に変われと言うのでなく、では私は、あなたは、何をどうしていけるのか、一緒に考えられる。

「なにができようとできまいと、私はあなたが大切」

と言える、自分が能動的にゆるし、愛する、パートナーに限らず、そういう相手が一人でもいたなら。

少しずつ、自分に対しても「なにができようとできまいと、私はあなたが大切」を言いやすくなる・・・

近い関係だからこその無自覚の依存と暴力、そういう危険が起こりうる関係性とも知りつつ、可能性の面にも、光をあてたいと、思うのです。


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