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「できる力があるならば、力のある者がやるべきだ」、という思い込み。

こんにちは、桝田です。

しばらく続きそうな、傲慢な怒りの親玉話。

「できる力があるならば、力のある者がやるべきだ」という思い込みも、この親玉にはあったみたい。
怒りの正体が明確になっていくと、それに気づくことができるようになる自分の変化にも気づく。
距離をおける。

5歳の娘と1歳の息子と過ごしている時にも、この「できるならば、できる者がやるべき」は、娘に対してすぐ発動する。
息子はまだ、できない。娘はもう、できる。ということが、たくさんあるから。

息子が娘をひっかいて、「いたい〜」と娘が言うと、「はいはい、いたかったね、でもあなたもひっかかれないよう離れなさい」とか。
娘が片づけずに出していた折り紙や書いた手紙を息子がぐちゃぐちゃにすると、「出しっぱなしにしてるからでしょ。触られない場所に置いておきなさい」とか。

今日もそういうことがあって、ただ、いつもとはちょっと違った。

娘をひっかいた息子に、「お姉ちゃんいたいって。いたいのはいやだよ。ひっかくのはやめようね」。
娘に、「大丈夫?いたかったね。こっちにおいで。○○は、お姉ちゃんとあそびたかったのかな」。

そうふたりに言いながら、いままで自分がどう対応していたのかも鮮明にわかって、我ながらあまりに娘に理不尽すぎるな、と苦笑いした。

そして、息子に対しても実は「今はできる時期にないのだから、何を言っても仕方ない」と見ていた、と気づいた。
息子の力は今育っている過程にある、できるという形で表れなくてもすべて吸収している、と信頼していなかった。
彼を「力のない者」に、私がしていた。

これからも、余裕がなければきっと以前と同じことをやるのだろうけれど。

ふたりとも愛していて、とても大事。それに変わりはなく、まったく同じ。
それでも、ひとりめは特別だ。
親としてのはじめてが、私にもたくさん。

存在にも気づくことなく、巧妙に隠しとおして生きてこれた自分の内側の頑丈な扉を、勢いよく叩かれることが日々あって。
いつもいつも怒ってしまう。

いつもごめんねと、いつもありがとうを、ほんとは娘にこそたくさん伝えたい。

「できる力があるならば、力のある者がやるべき」?
その力はあなたが身につけたもので、あなたが幸せに暮らすためのものだ。
いつ何に使うか、使わないか、あなたが自由に選ぶものだ。


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