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私に圧し潰されて、圧し殺されていた、私の悲しみと痛み。

こんにちは、桝田です。

 

先日のへんてこジャーニーで出てきた、私の怒りの親玉

これ、どうしようか。

と、思い立って、マーニー・デューガンさんのワークショップで体験した、

感情解放のワークを一人でやってみました。

 

部屋にはマーニーの磁場ももちろん発生していないし、

ペアのパートナーの存在、安心感もありません。

一人では、解放する動きも声もどうしても小さくなる。

 

でも、家に一人なら、できないことはないかな、という感じ。

涙も鼻水も咳も痰も、溜まっていたものと共に、出ることは出ました。

 

この怒りは、想像していたものに反して、激しいものではなかったのです。

 

長い長いあいだ、圧し潰されて、圧し殺されて、

奥から絞り出されるような、遠慮がちな呼びかけと、悲しみと痛み。

なぜ、この悲しみと傷みを感じて、それを避けようとしてきたのか。

 

 

この悲しみと傷みに全力で触れないようにするために、

私は自分のやるべきことを自分でやる人になろうとしてきました。

 

一方で、自分の本当にほしいと思うものは、ほしいと口に出せずにきたのです。

私は無力だ、というメンタルモデルは、こうして作られたのだな・・・

 

これは、私のほしいものに対して私は無力だ、という類の無力さ。

だから、人の役に立つ、責任を果たす力が自分にはある、という傲慢さとも共存するのです。

 

 

解放しきれたかはわかりませんが、この傲慢さの正体と構造がわかって、

すこしほっとした、安心がいま、私にあります。

 

最近、「怒るとこわいからいやだ。やさしく言ってほしい」と泣く娘。

かーちゃん、なんで怒っちゃうかわかったよ、と娘にも伝えました。

 

怒ってごめんね。

一人でやりなさいっていつも言ってしまうけど、やらなくてもいいよ。

かーちゃんとやりたいことがあったら教えてね。

かーちゃんあんまり遊びを知らないけど、やってみたいと思ってるよ。

 

娘は、

うん。

こどもは、みんなお母さんが大好きだよね。

誰もお母さんが大好きじゃないこどもはいないよね。

かーちゃんとみずあそび、どろだんごしたいってまえに言ったよ。

と言いました。

 

うん、どろだんご、聞いてる。

自転車の練習も。

すぐには変われないかもしれないけど、少しずつだなー、と思っています。

 


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