コンテンツにスキップするには Enter キーを押してください

私の「悲しい」という気持ちは、私のもの。

ちょっと思い出して、深夜にひとりごとを・・・。

娘と同じ月生まれのお子さんがいる、妊婦さんに会いました。

ああ、娘と同じ歳の彼は、もうすぐお兄ちゃんになるんだね。
そう思いながら、5月に別れた子を思いました。

別れていなければ、今頃は妊娠後期。
最近お世話好きになってきた娘も、お姉ちゃんになれたら嬉しかったかなぁ。
そんなことを思うと、涙もあふれてきました。

5月からこれまでを振り返ると・・・、別れていたからこその道が、
今、足下まで続いていると思います。
素敵な出会いも、機会もたくさんありました。
それに感謝も、歓びも感じています。

ただ、「だからいいじゃないか」と切り捨ててしまうには、
あまりにも大切なものなのです。
「あの子を失って悲しい」という気持ちは、私にとって。

「いつ産むか」は選択できる、と産む性である女性の私でも思っていたし、
今も多くの人に思われているのだと思うけれど・・・
「授かる」ものだった、そんなあたりまえのことを、本当に教えてもらいました。

選択できるとしたら、「いつ産まないか」だけ。
「いつ産むか」を選べるはずだと社会が強いる、ということは、
ほとんど「産むな」と同義なのだと思います。

そして、私の「悲しい」という気持ちは、私のもの。
他の誰のものでもないし、私が悲しみを感じるのは、
きっかけをくれた妊婦さんをはじめ、誰のせいでもないのです。

私の「悲しい」という気持ちは、
・・・なんというのか、そこにあたたかさもあるのです。
あの子がいた、みんなで楽しみにした、幸せをくれた。
それまで私に見えなかった世界に気づかせてくれた。
それは紛れもない事実だし、あの子の遺してくれたあたたかい記憶と、財産です。

今お腹で育とうとしている赤ちゃんが、みな無事に産声をあげますように。
そして、これまでに子と別れた親達の悲しみ、悼む気持ちが、
あたたかなものでありますように・・・
悲しみや悼みは、悪いだけではなくて、それがあるからこそ輝くものも必ずあると、
私は思っています。
時折でいい、少しずつでもいい。
みんながちゃんと自分自身の悲しみを抱きしめられたら、いいなと思います。

コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です