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クリーン・ランゲージ(シンボリック・モデリング)と、私。その3

こんにちは、桝田です。

私がクリーン・ランゲージに惹かれている理由、感じていること。前回の続きです。

 >>>前回はこちら 

今回は、クリーン・ランゲージを学ぶ前に私が困っていたこと。そして、クリーン・ランゲージを学ぶことで、それがどのように変わってきたかを書いていきますね。

私には、家族や一緒に働く人など、まわりにいる人の気持ちや期待を、意識せずとも察してしまうところがあります。
相手の気持ちを感じとり、無意識にその相手の気持ちに自分が配慮する必要があるように感じて、まわりにとってよいように、と行動してしまうのです。
これは幼い頃から自然にしていたことで、私の特性だと思っています。

この特性は、事務局(全体を把握し、連絡、調整、進捗を管理する)の仕事をする上ではとても役に立つのですが……。
一方で、「私自身」の気持ち、私が何を望んでいるのか、を置き去りにして相手やまわりのために動く、ということがよくありました。私自身を置き去りにしていることにも気づかないで、「こうするのがいい」とその時には本当に思っているのです。

その場では「相手が困っているのだから力になりたい」と、相手のために自分にできる限りのことをする。
けれど、あとから相手からの感謝や報酬が自分にとって充分ではない、と感じると、「これだけやったのに報われない」「犠牲になっている」という感覚に襲われ、怒りを覚えることがありました。

相手にとってみれば、「知らないよ!」ですよね。笑

この「まわりにとってよいように」という自分の癖に気づいた時のことは、こちらの記事に詳しく書いています。

クリーン・ランゲージを学ぶことで、相手の気持ちについて「私がそう受け取っている」けれど、「相手が本当にそう感じているか?」「私が配慮することを、相手自身が望んでいるか?」は、相手に確かめなければわからないことだ、ということを、初めて感覚として理解することができました。

私のことは、私のこと。
相手のことは、相手のこと。

と、線を引きやすくなったと感じています。

「この状況で、私は、何が起きればいい?」
と必ず自分に確かめることで、相手に悪いからと引き受けたり、やめられないでいたものを、断ったり、やめていくことができるようになりました。もし引き受けるなら対価が必要だ、と感じる時には、それを伝えられるようになりました。

相手のためになにかしたい、という気持ちが、今、私自身に確かにあるのか? ということを確かめてから行動することで、「犠牲になっている」「これだけやっているのに報われない」という感覚がほとんどなくなりました。
その感覚がある時は、「相手とコミュニケーションを取らずに、私が勝手にやりすぎている・譲歩しすぎているのではないか?」と自問しています。

自分が、自分のために選択し、行動すること、生きていくこと。
それが、まわりの人にとっても学びとなり、相手が相手自身のために生きることにつながる、ということを実感できるようになってきました。

お客様、共に働く人、家族、こども、私にとってかかわりの深い、大切な人たちとの間でも、それぞれが自分を生きる、自分のために勇気をもって選ぶことを、共に喜ぶことのできる関係を築きたい。
そのために、「私は、何が起きればいい?」という問いがとても助けになっています。

 >>>「クリーン・ランゲージ(シンボリック・モデリング)と私。その4」へ


【私が、クリーン・ランゲージに惹かれている理由】

  1. クリーン・ランゲージ(シンボリック・モデリング)と私。
  2. クリーン・ランゲージ(シンボリック・モデリング)と私。その2
  3. クリーン・ランゲージ(シンボリック・モデリング)と私。その3
  4. クリーン・ランゲージ(シンボリック・モデリング)と私。その4

★クリーン・ランゲージって何? という方は、こちらをご覧ください。

★セッションメニューは現在準備中です。2017年秋頃の開始を予定しています。

★私自身のクライアント体験、養成講座の受講記録などは、以下のページをご覧ください。

クリーン・ランゲージの記録

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