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こどもを育てることで、失ったものと、得たものと。

こんにちは、桝田です。

5歳と2歳のこどもと共に暮らしている中で、「こどもを育てる」ということについて、一人の女性として私が今何を失って、何を得ていると感じているのか……。
あるところで書こう、まとめてみようと整理する機会があったので、私自身の記録としてもこちらに。

失ったものも、得たものも、かけがえのない。そんな気持ちです。


こどもを育てるとは、自分の時間を失うことだ。

毎晩のように遅くまで、好きなだけ仕事に打ち込み、失敗を重ねながらも成長し、お酒を飲みながら上司や同僚、友人たちと語り合う。
こどもを育てるとは、そんな、これまでの自分が人生で手にしていた充実感そのものと言えるような時間を、遠い昔のこととして葬り去ることだ。

家でゆっくりと食事をして、ゆっくりとお風呂につかり、ゆっくりと眠って、心身をいたわる。
こどもを育てるとは、そんな、明日への英気を養う時間を、あの暇がいったい以前はどこにあったのだろう、と疑問に感じるようになることだ。

街で好きな映画を観て、好きな本を読み、カフェでひと息、美味しいものを食べて、そうだ、あの美術展にも行きたいと、自分の興味関心を純粋に味わい、楽しむ。
こどもを育てるとは、そんな、彩りや豊かさを感じるような至福の時間を、過去のいつかに経験した夢として思い出しながら、閉じ込められた家の中で夢見ることだ。

こどもを育てるとは、かつて自分にあった時間を失い、日々目の前に山積みの、掃除・洗濯・炊事・こどもの世話に追われて、一日を、ひと月を、一年を、終えていくことだ。

こどもを育てるとは、自分のお金を失うことだ。

毎晩遅くまで、好きなだけ仕事に打ち込み、よい仕事をして、お客様や同僚、上司に認められて、その価値の対価としてお金をいただく。
こどもを育てるとは、そんな、誇りを持って仕事をする場所を失い、あるいはそれまでのように好きなだけ仕事に打ち込むことは叶わなくなり、自分のお金を得る力……認められるだけの価値も自分は減じてしまったのではないかと、その額面を見てため息をつくことだ。

好きな時に好きなものを買って、自分の好奇心や希望、理想の生活を満たしていく、お金を使う喜び。
こどもを育てるとは、そんな、自分の喜びよりも優先されるお金の使い途が増えて、その計算をしているうちに、自分の好きなもののためのお金はずいぶん少なくなっていることに、ふと気がつくことだ。

こどもを育てるとは、かつて自分にあったお金、あるいはお金を得る方法や力を失い、お金の必要が増えることで、自分のために使うお金はない、と諦めることだ。
あるいは、自分のためにお金を使うことに、罪悪感を覚えるようになることだ。

こどもを育てるとは、自分の夫との、恋人だった関係を失うことだ。

日々「おはよう」と挨拶を交わして、共に食事をして、次の休日にはなにをしようかと一緒に過ごす時間を軽やかに楽しむ、気の合う恋人。
こどもを育てるとは、そんな、夫と恋人としてただ二人で過ごすことの嬉しさ、楽しさは影も形もなくなり、家庭を運営していくための、シビアな共同経営者として互いに相手が何をしているのか・していないのかを評価、判断し合うようになることだ。

二人でゲームに興じたり、お酒を飲んだりしながら、互いに考えていることを長い時間話し込んで、ああこの人の考え方はすごいなぁ、この人のこういうところに自分が救われているなぁ、と相手への尊敬や好感を深める。
こどもを育てるとは、そんな、尊敬していたはず、好きだったはずの相手の考え方や、自分が救われている部分に、いら立ち、腹が立つようになることだ。自分と同じであってほしい時に相手がそうではない、という違いが、とても相容れないもののように感じられるようになることだ。

こどもを育てるとは、かつて自分たちにあった恋人という安らげる関係を失い、他人ではないのだからより自分を理解してほしい、より自分と同じであってほしいという、相手を支配したい、相手を変えたい、という自分の身に潜めていた傲慢さに苦しむようになることだ。

こどもを育てるとは、未来を生きる、という時間に出会うことだ。

こどものためにと目の前の時間に追われる中で、自分が死ぬまでの時間も真剣に考えたことがなかったというのに、50年先、もっと先、自分が死んだ先の未来は、どのようになっているのだろう。
こどもを育てるとは、こどもたちがこの先も、そのまた先も、幸せに生きられるようにと、未来の時間に思いを馳せるようになることだ。

こどもを育てるとは、お金にも、お金ではないものにも、生かされてきたと知ることだ。

こどものためにと使うお金を通して、自分の育ってくる過程に、どれほどお金によって守られてきた、自分をつくってきたものがあったのか。そしてそれと同じかそれ以上に、お金ではないものによって自分が生かされてきたことを、理解する。
こどもを育てるとは、お金や何かという形あるもの、時間や世話という形のないもの、それらを通して注がれてきた多くの人の愛情に、気づき、そこから生きるようになることだ。

こどもを育てるとは、赤の他人だった夫と、誰よりも深い関係になることだ。

こどものためにとこれまで踏み入れようと考えたことすらない他人の領域へと踏み込み、自分の領域へ他人から口を出され、踏み込まれることに痛みを覚えながらも、相手の言葉を胸に留め、自分の好ましくない部分に気づいていく。自分が変わる努力をしていく。
こどもを育てるとは、他人を信頼すること、他人に愛されること・他人を愛することとはどういうことなのか、一人の相手を通して深く学んでいくことだ。

こどもを育てるとは、私にとって……、失うことによってのみ、得られたものがある、と知ることだ。

いま得ている、この手にあるもの……私自身の変化を、こどもたちと共に育てていきたい。
また、「自分の」時間やお金や恋人が過去にもたらしてくれた安心や幸せと、こどもたちのおかげで得ることができた、「自分の」を超えた時間やお金、深い関係が今もたらしてくれる安心や幸せと。
そのどちらもが、私にはとても大切だよと、こどもたちに伝えていきたい、と思う。


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