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続・滅私奉公。「私がやらなければ誰もやらない」の、深い闇。

※この記事はへんてこ書房の運営メンバーだった頃に書いたものです。

こんにちは、桝田です。

滅私奉公の内省、続きます。

「私がやればなんとかなる」は、別の言い方をすれば「私がやらなければ誰もやらない」。

これね、私にはすごく旨味=続けることで得られるもの、があるんですよ。

人の役に立っている気がする。
自分の好きに進められる。
没頭してやることがたくさんあると、自分が有能な人になった気がする。

私の居場所がある、自分に価値がある、気がする。

私がやらなければ誰もやらない。
それがまわりの人を「力のない人」の場所に立たせていく、

ということを前回、書きました。

ただ、これが発動するのは、私が「外」だと思っている相手に対して、です。
私が「内」だと思っている相手に対しては、逆に、滅私奉公を強いる。

たとえば、

お客様やゲストが「外」である時、「内」はへんてこ海賊団。

へんてこ海賊団が「外」である時、「内」は親戚、夫やこども。

夫や親戚も「外」である時、「内」はこどもや私自身。

なぜなら、どんな近しい人も「外」である時、ただ一人「内」である私に対して、私が滅私奉公を強いることをあたりまえに生きてきたから。

「私がやらなければ誰もやらない」と私がやろう! とする時に、ないがしろにする順番が、私自身、こども、夫、へんてこ海賊団・・・、であったわけです。

「内」「外」と私が認識する事柄にはすべて、内が滅私奉公し、外の力を奪う、という構図が相似として現れる。

うわーーー
しかし書いてみると、ほんといやだなぁ。

「仕事があるから(家事や育児にしわ寄せがいくのは仕方ない)」というのは、自分には価値がない、と感じていることを自分が直視したくなくての、直視を避けるための美しげな口実でもあるのですよ。

そして特にこどもとの私の「内」「外」関係は、曖昧な時があるなぁ。

娘の言動に腹を立てながら、ああ、これは「私が嫌だと思っている私の一部」や「(想像上の)危険な世界から身を守るために私自身に強いていること」に私は腹を立てているのだ、と思うことがよくよくある。

私個人には続ける旨味のある滅私奉公に限界を感じ、もうやめたい!理由は、なにより夫やこども達の存在なのです。

夫やこども達を、本当はいちばんに大切にしたい。

だからこそ、順に「内」から満たしていこう。
「私が嫌だと思っている私の一部」を、私自身が受け容れていこう。
私が「危険な世界から身を守るために自分に強いていること」に、開き気づいているようにしよう。

私自身を、いちばんに満たしていこう。


【2016年4月17日~ へんてこジャーニーの軌跡】

  1. 世界は危険だ。だから私は……、と、繰り返してきたこと。
  2. 滅私奉公。「私がやればなんとかなる」の、深い闇。
  3. 続・滅私奉公。「私がやらなければ誰もやらない」の、深い闇。
  4. 滅私奉公になりやすい、世界を捉える私の五感。
  5. 滅私奉公脱却の旅。人生で避けていたことをひとつ、避ける必要がなくなったお話。
  6. こどもが怒り、悲しみを感じている時、隣で親ができること。
  7. お金を稼ぐこと、受けとること。
  8. 自分の内側に「ある」もの。クリーンな問いの力。
  9. 私の力を発揮することをとめている、私自身の思い込み。
  10. 「私を邪魔しない、聞き分けのよい、いると便利で助かる子」。
  11. 「力をないことにする」ことで、得ている旨味。
  12. いつでも、一人でできるように。 人を頼らないように。 人に迷惑をかけないように。
  13. 私に圧し潰されて、圧し殺されていた、私の悲しみと痛み。
  14. 「できる力があるならば、力のある者がやるべきだ」、という思い込み。
  15. へんてこジャーニーを終えて。「始まり」に立つ。

★へんてこジャーニー:へんてこ書房で企画・開催した、8ヶ月間の自己変容・リーダーシップ開発のプログラム

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