自分の時間と、こどもといる時間。「どちらが大事なの?」では、なくて……

こんにちは、桝田です。

9月後半、諸事情から私一人で東京に10泊11日、出かけていました。
娘、息子と離れて。

夜行バスで戻り、いない間こども達をお願いしていた義実家に帰ると、朝食を食べながらおかえり~、と言う娘。
夫の横でまだ寝ていて、起きて私の顔を見てどうしていいのか、と戸惑う様子の息子。

その後、家に戻ってきて翌日。

「かーちゃん大好き。10日もいないの寂しかったよう」
安心したのか、抱っこしてー、と膝にのりながら、娘。

朝方、寝ぼけ眼で私の姿を確認すると、一生懸命近くにはってきて安心したようにまた眠る、息子。

こども達が大切で、愛おしい。
自分が素晴らしい、大切だと思うものに情熱を注ぎたい。

どちらが大事?

ではなくて、どちらも心から大事、というのがまぎれもなく私にある気持ち。
そしてどちらも、 私にとっては密接につながっていること……。

「こども達は親の言うことではなくて、親のやることをするようになるのよ。
もし親が自分自身を愛するための時間を大切にしないならば、こどもは自分を愛することについて、同じように学ぶでしょう」

東京に行った理由のひとつ、身体に溜まった感情を解放するワークショップで感情について教えてくれるマーニーの言葉を聞いた時、涙が止まりませんでした。

何をしてもしなくても。
どちらかのためにどちらかはないことにしよう、ともし私が感じながら行動するならば、娘や息子が私から学ぶのは「どちらかしか選ぶことはできない」ということなのです。

そして私や環境から何を学ぶかも、彼らが決めてきたこと、でもある……

こども達に私ができることは、私にある気持ちを伝え続けること。

「あなた達が大切で、愛おしい。
仕事をすることができて嬉しい。
一緒にいてくれて、帰りを待っていてくれて、ありがとう」と。

あなたが何を感じていてもいい、あなたの感じていることを私も大切に思っている、と耳を傾けること。
自分の大切なものをすべて、大切にする勇気を私が奮うこと。

それ以上をどう受けとめるかは、娘と息子が、世界(母である私を含めた、自分の外側)をどのように感じとるか、なのだと思います。

そして彼ら自身の感じる力と、感じたことから学ぶ力が、それがどんなものであれ彼らをもっとも助ける力である、と信頼したい。

でも本当に、できることはそれだけだなぁ、
私にできるそれをしっかりやりたいなぁ、という気持ちでいます。