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いつでも、一人でできるように。 人を頼らないように。 人に迷惑をかけないように。

※この記事はへんてこ書房の運営メンバーだった頃に書いたものです。

こんにちは、桝田です。

先日、へんてこジャーニーのオンラインセッションでした。
ジャーニーも佳境。

前回からようやく受け入れられた感のある、「私には力がない」「私は無力だ」というメンタルモデルも、底の底で私を動かし続けてきたものだなぁ、と受け入れるのに疲れ切った……。

にもかかわらず、2時間のセッションで、それと同じくらい、いやそれ以上に、うげーーーーー、ってものが出てきました。

話していたのは私ではなく、他のメンバーなのに。
「ここまでコミュニティが深まっていくと、人の話でも気づきが起きていいよね」と、みーちゃん(由佐美加子さん)

メンバーの話を聞きながら思い出していたのは、娘との普段のやりとり。

「自分でもやればできることをやらない、やろうとしない、やれるように努力しない(ように私に見える)」
「自分がやると言ったことをやらない」
「話を聞いていない(ように私に見える)」
「伝えて、自分もわかったと返事したことを覚えてない」

こんな形で、娘に「迷惑をかけられた」と感じると、瞬間湯沸かし器のように腹が立つ。

「迷惑もなにもさー、5歳のこどもだよ。そんなもんでしょ~」という夫は、反応しないらしい。
これは反応する私の側になにかあるのだろうなぁ……、とはうすうす感じていて。

私も、1歳の息子がなにを散らかしても反応しない。そんなもんだと思っているから。
娘が1歳の時も反応しなかったと思う。

言葉を理解して、やりとりができて、自分でもやればできること。に対して、自分でできるでしょ、自分でやりなさい!と、反応する。(冷静に考えれば、気が乗った時はできる、乗らなければできない、とはわかるんだけど。)

あー、これだ、これがパターンだわーーー。
私が私に許していないこと。禁止していること。全力で。
で、もちろん、当然、常識でしょ!と、他人にも禁止していること。

気が乗ろうが乗るまいが、いつでも、一人でできるように。
一人でできることなら人を頼らないように。
人に迷惑をかけないように。

私はそうやって、人に頼ることを自分に禁止して、自分の責任範囲は一人で完遂するようにと努力を重ねてきた。
(「責任範囲」と自分が設定していること、については。責任範囲にないことは割とすぐ頼るのでそう見えないかも)

そうしてそれなりには一人でできる力を身につけてきて、ある程度は迷惑をかけないで生きていける、ともどこかで思っている。(本当はそんなもの幻想で、絶対に迷惑かけてると頭でわかるけど、私は自分の責任範囲のことはちゃんとやってる!と主張したくなる感じで。)

人に迷惑をかけないように、
一度言われたことは忘れないように、
調べればわかることは調べるように、
先に伝えるべきことは伝えるように、
後からやることはできるだけ迅速に、
自分がやると言ったことは必ずやるように、

いつもいつも、してる。
無意識に。

だから、娘に限らず、その努力をしていないように見える人や、私から見てその人の責任範囲のことを人に甘えているように見える人がいると、腹が立つ。

とはいえオトナだから、腹がたっても相手に直接怒ることはなくて、自分でも気づかないうちに0コンマ何秒で怒りをなかったことにしているけれど。
よっぽどオープンに話せる相手になら、たまに苦言を呈する、くらい。

この、私によってないことにされた私の怒りは普段、自分の内側に溜め込まれて棲みついている。
イライラ、ギスギス、ガリガリするような怒りが全身の内側、体中にあって、毛が逆立つように全身から不機嫌を発している。

「自分でやってよ!! それくらい!!!!!」

と、その不機嫌は常に怒って叫んでいる。

理解したいか考える前に情報がつながってしまう、今やるといいことに早いタイミングで気づいてしまう、忘れようとしても記憶に残っていてしまう、しようと思えばなんとかできてしまう、そういう自分の小器用さも憎々しい。

いっそわからなければ、
いっそ気づかなければ、
いっそ忘れてしまったら、
いっそやってもできなければ、
遂行する力が自分になかったなら、

やらなくてもいいと人にも諦めて受け入れてもらえるのに。

遂行する力を努力して身につけ、その力に自分も助けられてきた反面、身につけてこれてしまった自分を、どこか鬱屈して忌々しくも思っている。

遂行することで、達したい場所がある。
見てみたい景色がある。
それも、私にある真実のひとつであることに間違いはないんだけど……。

見たい景色のためには仕方ないのだ、できる力があるのならば私がやればいいのだ、と、この怒りをずっとずっと、私自身がないことにしてきた。

感じたところでどうしようもない、と諦めてきた。

……、あーーーーーーーーーーーーーーーー。
私が自分の力をないことにしておきたい本当の理由は、これだったのか……。と、愕然としてる。

やりたくなかったんだ。本当は。
見たい景色のためならと、やってもやったと気づかれることさえない、他人のための露払いと尻拭い(と私が感じること)を、やり続けることを。

多くの場合、自分の責任範囲にも影響が及ぶのが先にわかるから嫌なのであって、本人からは頼まれてもいない、気になること。

他人とのかかわりで、いつもそれを勝手に溜め込んでいる。

だから、甘えても私を受け入れてくれると無意識に安心している夫や、私に対しては本当には抵抗できないことがわかっている、立場の弱い娘に対しては、「私はやりたくない」「自分でやれ!」が漏れ出すし、怒りの矛先が容易に向く。

夫にも安心できていない、後ろめたさがあることの歪みは、ぜんぶ娘に向く。
息子がもう少し成長して言葉を話し始めたら、息子にも向くのだろう。

それは、娘や息子が悪いんじゃない。まったくない。

私が勝手に溜め込んだ怒りを、こどもに向けることをやめるのだ。本気で。
このメンタルモデルと、そこにある怒り痛み悲しみを、感じることを許していく。

そうしてはじめてようやく真に理解できることが、人と信頼からつながれることが、心から人に感謝できることが、もっともっとある気がする。いま苦しいけど、それは希望だな。

「成長は目的じゃなくて手段。充足する人生を生きるためのね」という、みーちゃんの言葉。響くなぁ。

充足して生きたい。


【2016年4月17日~ へんてこジャーニーの軌跡】

  1. 世界は危険だ。だから私は……、と、繰り返してきたこと。
  2. 滅私奉公。「私がやればなんとかなる」の、深い闇。
  3. 続・滅私奉公。「私がやらなければ誰もやらない」の、深い闇。
  4. 滅私奉公になりやすい、世界を捉える私の五感。
  5. 滅私奉公脱却の旅。人生で避けていたことをひとつ、避ける必要がなくなったお話。
  6. こどもが怒り、悲しみを感じている時、隣で親ができること。
  7. お金を稼ぐこと、受けとること。
  8. 私の力を発揮することをとめている、私自身の思い込み。
  9. 「私を邪魔しない、聞き分けのよい、いると便利で助かる子」。
  10. 「力をないことにする」ことで、得ている旨味。
  11. いつでも、一人でできるように。 人を頼らないように。 人に迷惑をかけないように。
  12. 私に圧し潰されて、圧し殺されていた、私の悲しみと痛み。
  13. 「できる力があるならば、力のある者がやるべきだ」、という思い込み。
  14. へんてこジャーニーを終えて。「始まり」に立つ。

★へんてこジャーニー:へんてこ書房で企画・開催した、8ヶ月間の自己変容・リーダーシップ開発のプログラム

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