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「私を邪魔しない、聞き分けのよい、いると便利で助かる子」。

こどもを叱っている時、叱りながら、

私はつまり娘に「どうなれ」と言っているんだろう、と

叱るのとは別の頭で考えています。

 

自分のことは自分でやり、

自分のことをやった上で友人に手を貸し、

一度言われたことはきちんと覚えていて、

一度だめだと教えられたことは二度とやらず、

言いなさい、やりなさい、と言われたことを言い、やる。

 

 

親の私を邪魔しない、聞き分けのよい、いると便利で助かる子。

 

 

・・・ああ、私は娘にそう育つことを願っているわけではないのになぁ。

なんて残念な。

 

私のこの口が、表情が、言葉が、全身が表す苛立ちが、

娘に鎧を着させる。

言い訳するための思考を働かせるように、わざわざ仕向ける。

 

もう、それはやめたいのに、反応がすぐにはとまらない。

 

それは、

 

「親を邪魔しない、聞き分けのよい、いると便利で助かる子」

 

であらねばならない、と、そうでない自分でいることを、

私が私にずっとゆるしてこなかったからだ。今も。

 

 

私はゆるされなかった。

だからあなたがそうすることも、私はゆるさない。

 

叱ることを通して娘にそう禁止している。

私が叱ることでしたいのは、娘にただ禁止すること、それだけ。

私はゆるされてない、という主張。

 

でも、それはもうやめたいんだよ・・・

 

反応はする。とめられない。

反応したあとに、

 

「お母さんさっき間違ったよ、ごめんね」

「○○が××したことに腹が立って、それだと●●で嫌だなと悲しくなって、

大きな声を出してしまったよ」

 

と、こどもに謝れるといいなぁ、と頭ではわかっているのだけれど、

この素直さが、私にはなかなか難しく・・・

強情に、娘に対して「あなたも悪いのよ」と思っていて、

夫にいつも呆れられるわけなのですが。

 

反応したと気づく、反応したことを謝る、

「ほんとうはこうしたい」を自覚して、少しでもそうしていけるといい。

 

そしてなにより、私が私をゆるしていけるといい。

反応する自分、反応したことを謝れない自分、そんな自分も含めて・・・

誰も、私を禁止してはいないのだから。

 

反応に気づくことや、これまでしてきてない行動(謝る)には、

仲間からの理解や励ましがほんとに勇気になる。

 

時折開いている場も、こどもを育てる葛藤を支え合う、

仲間をつくる場になればいいなと思って開いています。

 

また、私個人ではなく友人たちと活動しているへんてこ書房にも、

そういう仲間が集っていますよ。

よろしければのぞいてみてくださいね!

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